沿革
History Menu
1886
アーサー・デホン・リトルとロジャー・B・グリフィンが、プロセス改善や製品改善のための最初のコンサルティングファームを設立し、米国ボストンのミルク通り103番地に最初のオフィスと研究所を開設しました。
1894
その後何年間にもわたり業界の標準参考書となった『The chemistry of paper making』を出版しました。
1900
ADLは、MITの応用化学博士のウィリアム・H・ウォーカーと、2件目のパートナーシップを結びました。新オフィスは、ボストンのエクスチェンジ・プレイス7番地へ移りました。
1902
New England Telephone and Telegraph Company(現在のベライゾン・ニューイングランド)の、大規模な電気の接続不良を解決しました。
1903
ADLはボストンのブロード通り93番地に移り、米国で初めて、セルロースアセテートから商業用の織物繊維を製造しました。
1906
様々な木材を使った製紙用パルプ製造に関して米国森林局にアドバイスし、新しい国立研究センターや米国森林製品研究所(US Forest Product Laboratory)の設立につながりました。
1907
"Other people's troubles are our business"がADLのスローガンとなりました。
1909
ADLは法人化し、テクノロジーを産業成長に適用することを目指す世界初の企業となりました。
当初は、セルロース化学や、セルロースの織物や紙への利用に重点を置いていましたが、1909年には、ADLは国内最大のコンサルティング産業研究所となり、多岐にわたる研究分野で業務を行うようになりました。
1911
ゼネラルモーターズの最初のR&Dラボの設立を支援しました。
1914
長く続く社誌となる、『The Little Journal』を発刊しました。
1916
カナダ太平洋鉄道代表取締役のロード・オショーネシーが、カナダの天然資源や、その産業面でのポテンシャルについて一連の調査をADLに依頼しました。
同調査の完了までに、165の研究を行いました。同調査はきわめて重要であることが判明し、その後科学・工業研究評議会へ移管され、カナダ政府の業務になりました。
1917
ADLは、チャールズ川沿いの、同じくボストンから移動してきたマサチューセッツ工科大学(MIT)の新キャンパスに隣接する、ケンブリッジのメモリアルドライブ30番地にオフィスを移しました。
この3階建てのレンガ造りの建物は、より広い研究スペースが必要になったため、ADLにより建設されました。この建物は、1976年に米国国家歴史登録財に登録されました。また、国定歴史建造物でもあります。「Arthur D. Little Building」として知られているとともに、MITのスローン経営大学院の大学長の本部としても使われています。
1921
豚の耳から絹の財布を作り、PR活動を成功させました。「豚の耳から絹の財布を作ることはできない(瓜のつるにナスビはならぬ)」という古い言い回しを反証したのです。この革命的な成果は、現在スミソニアン協会の収蔵品です。
1925
最初のアンチノックガソリン標準として使用されることになる、イソオクタン化合物を合成しました。
1929
現在米国最大の研究機関の1つである、バテル記念研究所の組織計画を支援しました。
1930
トマトスープ製造の際に生まれる廃棄物を、環境を害さず活用する方法について、キャンベル・スープに助言を行いました。
1931
ガラス繊維の開発に大きく貢献しました
1935
アーサー・デホン・リトルの死去後、研究の大家であるアール・プレイス・スティーブンソン(1894-1978)が代表の座を引き継ぎ、規律のカルチャーを浸透させました。
企業のリサーチディレクターとして、アールは24件の特許を取得しました。(塩水からの炭酸カリウムおよびホウ酸の回収、マツからのテルペンチン油およびロジンの抽出、プラスチック成形など)
「スティーブンソンは、無意味なことを許さない人でした。彼が代表に就任した際、彼はスタッフ全員に、間に秘書を挟むことなく、彼からの電話に出るよう指示しました。」―エリー・ジャックス・カーン・ジュニア
1939
海水を真水に変えるクラインシュミット蒸留装置を開発しました。
1941
米国の非与圧高高度戦闘機のパイロット用に、酸素マスクを開発しました。
1942
国民のため雇用創出の支援を求めていたプエルトリコ政府から依頼を受けて、ADLは、ブーツストラップ計画と呼ばれる多面的な産業開発プロジェクトを発明し、経済回復プロジェクトの国際的モデルを作りました。
ブーツストラップ計画によって、プエルトリコの産業化は成功しました。投資家による製造プラント移設・新設を促し、地方税や連邦税の軽減措置を提供しながら、輸入関税のかからないアメリカ市場へのアクセスを維持しました。
1946
絶対零度付近での作業のための、最初の商用のヘリウム液化機を製作しました。MITのサミュエル・C・コリンズ教授とその同僚とともに、初めてヘリウム液化機の実用化を達成し、大学での低温研究に革命を起こしました。この装置により、確実かつ廉価な液化ヘリウムの供給ができるようになり、超電導や半導体などの低温物理学の研究への道が開けました。
1947
調味料としてグルタミン酸ナトリウムを加える場合の食品への影響について、大規模研究の実施依頼を受けました。
1949
第2次世界大戦中に開発されたオペレーションズ・リサーチの、産業問題への適用を初めて実施しました。
1951
ジョンソン・エンド・ジョンソン、ゼネラル・エレクトリックとの共同プロジェクトが、現代の物流マネジメントの開発につながりました。
1955
実用ミサイルのアトラスおよびタイタン用に、推進剤充填システムを設計しました。
1956
アール・スティーブンソンの後を継いで、レイモンド・スティーブンス(1894-1982)がADLの代表に就任しました。代表として、レイモンドはマーケティングや国際経済開発へと事業を拡大しました
レイモンドは、1917年にMITを卒業し、陸軍中尉として第1次世界大戦に参加しました。彼は1920年にADLへ入社しました。そして、ADLによる、新興産業開発のソートリーダーシップに重点を置いたクライアント向けの月刊誌『Industrial Bulletin』の初代編集長となりました。
「私たちは、世界を革新することにとても意欲的です。ただし、私たちはあらゆる行動について現実的であることにこだわります。私たちは営利団体なのです。」―ADL代表 レイモンド・スティーブンス(1956-1960)
1957
欧州で最初のオフィスをチューリッヒに開設しました。
1960
IBMと共同で、アメリカン・エアラインズ向けにSABRE(世界初の、リアルタイムのオンライン予約システム)を開発しました。
1960
ジェームズ・モーリス・ギャビン(1907-1990)がレイモンド・スティーブンスの後を継いで代表となり、ADLは1,000万ドル企業から7,000万ドル企業へと成長し、大きな国際的影響力を持つようになりました。ジェームズ・ギャビンは、米軍の優秀な中将として第2次世界大戦に参加した後(彼の指揮のもとでパラシュート降下を行ったため、「ジャンピング・ジェネラル」と呼ばれる)、1958年に退役し、ADLに副社長として入社しました。彼は1960年にADLの代表となり、1977年に退社するまで、代表と取締役会長を兼任しました。1961年から1962年までの間、ギャビンはジョン・F・ケネディ大統領のもとで在フランス大使を務めるため、休職しました。
1961
途上国出身のゼネラルマネジャー(社長など)のみを対象とする、世界初のマネジメント教育プログラムを始動しました(Arthur D. Little Management Education Instituteと呼ばれる、正式な認可を受けた修士学位授与学術機関です)。
1962
IBMに向け、世界初のコンピューター在庫管理パッケージを開発しました。
1963
たばこの煙から、毛様体静止物質と細胞毒性物質を除去する、世界初のチャコールフィルターを開発しました。
1964
現代的な意思決定分析のために現在広く使われているコンセプトの先駆けとなる『決定木分析(The Decision Tree)』が出版されました。
1968
ファイバー光学分野が大きな潜在的インパクトを持っていることを明らかにしました。
NASDAQの証券取引システムを設計しました(ロンドン市場と東京市場で採用されました)。
1969
アポロ月面着陸の5つの主要実験の設計開発を行いました。レーザー測距反射鏡は、地球と月との正確な距離を測定するために現在も使用されています。
1970
ミナスジェライス州の産業化の促進についてブラジルを支援し、47億ドルを超える新規投資をもたらしました。
ワードプロセッサーを開発し、Savinに製造ライセンスを与えました。
1972
ジェームズ・ギャビンの後を継ぎ、ジョン・F・マギーがADLの代表に就任しました。
1973
太陽発電衛星による発電のコンセプトについて、特許を取得しました。このコンセプトは、ADLのピーター・グレーザー博士が1968年に発案しました(『Power from the Sun:Its Future』)。
1975
スクロール圧縮機の特許を取得し、より効率的で維持に手間のかからない、ガスの圧縮・膨張技術を提供しました。
アメリカ合衆国郵便公社の全業務のために、革新的な情報・郵便輸送技術を開発しました。
1976
日本の大阪近郊で、世界初の光ファイバー双方向ケーブルテレビシステムの設計・始動を支援しました。
1977
最大のコンピューターシミュレーションシステムであるSIMPACTを開発しました。これは現在でも超大規模プロジェクトの社会経済的影響の評価に使用されています。
企業が環境パフォーマンスを評価・改善するのを支援するため、環境保証システムを始動しました。
有害廃棄物処理などの多様な工業用途における抽出方法の代替として、特許を取得した臨界流体抽出技術の商業化に着手しました。
1978
欧州が一つのマーケットとして成長できるよう、欧州経済共同体における貿易の非関税障壁の撤廃に重点を置くことを明確にしました。
1979
有害廃棄物の管理と処理に関する最初の地域計画(ニューイングランド地方委員会向け)を完了しました。
サウジアラビア全域における、最新電気通信システム構築の計画・モニタリングを行い、100年分の進化を同国にもたらしました。
1981
欧州委員会の、電気通信業界の規制撤廃に関する最初の白書を作成し、世界中の固定電話・マーケット・技術トレンド・サービス・規制の情報に関する最初の電気通信データベースを完成させました。
「戦略的テクノロジー・マネジメント(Strategic Management of Technology)」のコンセプトを発表し、企業のR&Dリソースのマネジメント関する戦略的な計画策定について、分析手法を提供しました。
1982
低コストのビデオテックス端末を発明しました。エレクトロニックバンキング、留守番電話、ニュースや株式市場情報などへのアクセスを消費者に提供する、最初のマス向け製品となりました。
1988
太陽光発電産業の将来像に関する研究を初めて実施し、1996年までに商用の太陽光発電が実現すると結論付けました。
1991
燃料電池自動車がガソリンおよび代替燃料で走れるようにする部分酸化燃料処理装置を開発しました。
1992
メキシコのセメント会社であるセメックスが、インターナショナルな業界リーダー企業および学習する組織(Learning organization)へ変革するのを支援しました。
1993
小型充電機器用の、最新の固体リチウムイオン電池開発について、30件を超える特許を取得しました。
1994
アルゼンチン政府と協力し、国営石油会社YPFの再建と民営化に取り組みました。その結果、過去最高益と40億ドルの株式売却につながりました。
1995
米国海軍に向け、フレキシブルなコンピューター統合生産(CIM)の開発に関して、サウスカロライナ研究機関を支援しました。
2000
世界最大規模の通信機器メーカーにおけるパフォーマンス改善プログラムにおいて、工場の生産性を100~150%向上させました。
2001
フランスの大手エンジニアリング企業であるアルトランが、ADLの経営難を救うため、一時的にADLを買収しました。
米国エネルギー省の2002年の燃料電池研究予算全体の20%を配分されていたヌベラにおいて、燃料電池研究を支援しました。
2002
世界で最も大規模で過酷なラリーレイドの一つについて、ブランド戦略を策定しました。
2003
ポータルアクセス付きの技術・イノベーションデータベースや、地域ごとの化学産業の審議会の創設など、イギリスにおける、地域ごとのサイエンスデータベースの活用のための新しい政策および戦略を策定しました。
2005
サウジアラビアの新しい電気通信システムの開設を主導しました。さらに、電気通信分野の自由化、特に固定電話・携帯電話のライセンス付与について、サウジアラビアの電気通信の規制機関であるCITCを支援しました。
2006
欧州の大手ハブ空港を、最先端の国際空港グループへの変革と業務改善において、10年以上にわたり支援しました。
2008
大手グローバル化学会社のためのCO2戦略を策定しました。
2010
世界をリードする小児病院のためのR&D戦略策定
最大手高級車メーカーによる新型電気自動車の開発および市場投入戦略策定
バーレーンの「新経済産業都市」のためのポジショニングスタディの実施
2011
欧州トップの公益事業に向けた、原子力廃止戦略の策定
「欧州デジタル・アジェンダ」の設定における、欧州委員会と30社の主要通信サービス企業の支援
2012
数人のパートナーがマネジメント・バイアウト(MBO)を行い、これによりADLは、完全なパートナーシップ制度をとる、パートナーが所有する企業となりました。現在、ADLはグローバルパートナーシップ制度をとっています。
2012
世界最大規模かつ最も野心的な医療機関プロジェクトのための、革新的な医療機器調達戦略を策定
2013
最大規模の国営石油会社のための、メキシコ湾における深海石油探査および採掘のビジネスケース
2014
世界で毎年開催されるテニス4大大会の1つのための顧客体験戦略の策定
中東最大の株式市場のためのリスク・マネジメント戦略の策定
中東で急速に成長する最大手通信事業者のための調達最適化の実施
ADLの新オフィスをシンガポールに開設、東南アジア地域のクライアントを支援
2015
欧州最大手の鉄道・物流会社のための、主要デジタル分野(ブロックチェーン、メンテナンス4.0、ロボットプロセス自動化、ブロードバンド運用開始など)におけるITトランスフォーメーションとマスタープランの立案
ADLの新オフィスをイスタンブール(トルコ)に開設
2016
ドバイおよびストックホルムのためのスマートシティ戦略プロジェクト
2017
高速鉄道線の鉄道サービスに関するプライシング戦略の再設計